tsuchikulab

Tsuchikura Laboratory

事例の補足


A:「ある現場」で何らかの目的を達成したい、とおもう

・現場のことがよくわからないので(現場で泥にまみれるつもりはない)、別の現場に関する情報にもとづいてモデルをつくる
・・そもそも設定した目的が不適切
・・目的とモデルがずれている
・・目的とモデルは適切だとしても、現場の制約に不案内なため、実効性を欠く
・モデルはつくられると、現場のことをよくわからないでつくられたことが見えなくなる


B:モデルが降ってきた現場では、「このモデル、おかしいよね」とおもう
・そもそも、目的が不適切では?
・目的とモデルがずれているのでは?

・実効性を欠くのでは?



A:
・Bをモデルに従わせるために、アメとムチをもちいる

B:
・(飢餓状態のため/競争において)アメを獲得するか否かは死活問題
・(厳しい競争において)ムチ(罰)を与えられて評価が下がるか否かは死活問題
・・アメを獲得するよう、ムチを回避するよう、動かざるを得ない

・選択肢:アメを「獲得する」「獲得しない」(アメのみ例示するが、ムチも同様)
・アメを「獲得する」コストが大きい場合(④へ)
・アメを「獲得する」コストが大きくない場合 → コストを支払う
・・ひとつのアメでは何の足しにもならない
・・たくさんのアメを獲得しようとする
・結果的にコストは膨大になる → 競争相手とのがまん比べ(④へ)


B:
・わけもわからぬままコストを支払い、疲弊 → 自滅(=フィールドから退場)
・「解決」策として、モデルを骨抜きにし、枠組みのみ適合するように、調整する


・表面上はモデルどおりに動いているようにみえる
・・ただし、目的は達成されていない

・Aもそのことを理解している(!)
・・しかし、だれにも責任を問われる可能性がないため、改善しない
・・事が大きすぎて、改善の仕方もわからない…

テーマ:どこをどのように改良しうるだろうか?分岐点はどこにあっただろうか?

現代社会史の三つの区分

見田(2006,3章)

「1945年、第二次世界大戦終結から現在に至る日本の現代社会史は、この根底からの変動の時代を軸に、基本的に三つの時代に区分しておくことができる。」

〈プレ高度成長期〉:1945~1960

〈高度成長期〉:1960年代と1973年頃まで

〈ポスト高度成長期〉:1970年代後半以降

 

「現実」という言葉は三つの反対語をもっている

・理想と現実

・夢と現実

・虚構と現実

 

「日本の現代社会史の三つの時期の、時代の心性の基調色を大づかみに特徴づけてみると、ちょうどこの「現実」の三つの反対語によって、それぞれの時代の特質を定着することができると思います。」(p71)

 

理想の時代(1945年~60年頃まで)

・人びとが〈理想〉に生きようとした時代

=人々が理想を求めて生きた時代

・・理想は現実化することを求める

・・日本を支配していた二つの大文字の「理想」

・・・アメリカン・デモクラシーの理想

・・・ソビエトコミュニズムの理想

 

夢の時代(1960年~70年代前半まで)

・人びとが〈夢〉に生きようとした時代

・前半:あたたかい夢の時代

・後半:熱い夢の時代

・・第一期の理想がもたらしたものへの反乱、それらからの解放を求める

 

虚構の時代(1970年代の後半から)

・人びとが〈虚構〉に生きようとした時代

=もはやリアリティを愛さない。

・リアルなもの、ナマなもの、「自然」なものの「脱臭」に向かう、排除の感性圧

・虚構化する力。あえてしている。

 

見田宗介 2006 社会学入門 岩波書店岩波新書

金枝篇

・イタリアはローマ、ネミの村。

・ディアナ神殿の祭司になり、「森の王」の称号を得るには、神殿の森の聖なる樹から一本の枝を折り、それでいまの祭司を殺さなければならない。

1)なぜ祭司を殺さなければならないのか?

2)なぜ聖なる樹の枝を折らなければならないのか?

 

1)なぜ祭司を殺さなければならないのか?

・樹木には豊穣の力が宿る

・祭司は呪術師と王の役割を果たしていた

・・王は好天と豊かな作物をもたすと考えられた

・弱い王、老いた方は自然の運行を守るという本来の役目を果たせなくなる

・・感染の原理により、王の弱さが自然の豊穣を脅かすため

・・王は継承者に王座を明け渡す

・・継承者は王を殺すことで、自分のほうが王としての務めを果たす力があることを示す

=祭司が殺されるのは、植物の死と再生という自然界の秩序を反映しており、自然界を存続させるため。

・人間はわが身を襲った災厄を他のものに転嫁しようとしてきた。その一つとして、身代わりとしての死。

・・豊穣祈願、災厄排除のためのいけにえ

=森の王は、身代わりとしても殺された。

 

2)なぜ聖なる樹の枝を折らなければならないのか?

・ヨーロッパではヤドリギは迷信的崇拝の対象

・・薬効があるとされる

・・とくに寄生対象がオークの場合には神聖。

 

ヤドリギにはオークの生命が宿っている

・・オークの葉が落ちてしまう冬でも、ヤドリギは青々と茂っている

   ↓ つぎのような考え

・・ヤドリギが無事でいるかぎり、オークの樹を傷つけたり、殺すことはできない

・・ヤドリギを引きちぎると、オークは倒れる

 

・森の王=オークの神ユピテルの化身

・金枝=オークの木に寄生し、「森の王」の霊魂が宿っているヤドリギの枝

→オークの樹と同様、ヤドリギが無事であるかぎり、森の王を殺すことはできない。だから、まず枝を折る必要がある。

 

(背景)

・北欧の善と美の神バルデルの神話

・・バルデルは不死身。ただし、ヤドリギでのみ傷つけられる。

・・バルデルを殺せるのはヤドリギだけ。しかも、オークの樹からとられたものでないかぎり、殺せない。

 ・・かつ、バルデルの命はヤドリギに宿っている

 

文献
ジェームズ・フレーザー 内田昭一郎・吉岡晶子訳 1994 図説 金枝篇,東京書籍

Copyright©2013- tsuchikulab All Rights Reserved.