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レジュメの作成と発表

社会調査法の課題に限らず、ゼミで発表する際のやり方については遠山(2007)が参考になります。関連する部分の目次を紹介しておきます。ぜひ一度目を通してみてください。

 

●レジュメの作成(技術編)

・レジュメの構成

・言いたいことが伝わるレジュメを作る

・レジュメは常に新しいものを

・先行研究と自分たちのアイディアの両立と区別

 

●レジュメの作成(心構え編)

・レジュメは早めに作る

・授業中と授業外の2つの指導を有効に利用する

・レジュメの制作はグループで話し合いながら進める〔*引用者補足:グループワークの場合ですね。以下も同様です〕

・自分たち以外が読むのだということを意識してレジュメを作成する

・「やってきてください」と言われたことはきちんとやる

 

●構想発表にあたって

・相手に伝えたいことが伝わる発表を心がける

・レジュメに沿って発表する

・話すスピードや量の問題

・他のグループのプレゼンテーションとそれに対する教員からのコメントについて

 

●次の構想発表にむけて

・プレゼンテーションに対するコメントを活かす

・教員からのコメントの受け止め方

・コメントを活かした研究の方向性の修正

・教員のコメントをヒントにし、自分たちで考える

 

この章を含む、小塩・西口(2007)は、他にも「問題と目的の書き方」「考察のしかた」といった章を含んでいます。『質問紙調査の手順』というタイトルに限定されないトピックをわかりやすく紹介していて、参考になると思います。

 

遠山孝司 2007 構想発表を行う,小塩真司・西口利文編 質問紙調査の手順(心理学基礎演習 Vol.2),ナカニシヤ出版.17-28

教師の生涯発達研究の主なモデル(秋田,1999)

秋田(1999)は、生涯発達心理学の観点(山田,1995)を参考に、教師の生涯発達研究の主なモデルとしてつぎの4つを挙げている。

 

(モデルの名称)   (そのモデルが主に研究してきた側面)

●成長・熟達モデル:特定の授業技能や学級経営技能・実践的な知識や思考過程

●獲得・喪失両義性モデル:知識・思考、生徒との対人関係、仕事や学びへの意欲

●人生の危機的移行モデル:環境による認知的・対人的葛藤と対処様式、自我同一性、発達課題、社会文化の影響

●共同体への参加モデル:集団における地位・役割、技能、語り口、思考・信念様式、共同体成員間の相互作用

 

浅田(1999)は、教師の職業的アイデンティティにつぎのような段階を想定している。

・「教師になる」機会(学級を担任する/授業を担当する)がきたという不安と興奮を体験する段階(興奮と不安)

・教師として子どもに重要な影響を与えているという実感をもつと同時に、指導者(初任者研修担当者や学年主任等)を理想化する段階(依存と同一視)

・子どもが教師として認めてくれ、教師として能動的な存在となる段階(能動性と依存の継続)

・教師であると実感し、責任を認識する段階(充溢感と引き受け)

・指導者からの独立と教師であることに基づき自らが考える存在となる段階(アイデンティティと一人立ち)

 

さて、これらのモデルは、私たちが関心をもつ対象に、どう援用することができるでしょうか。

 

秋田喜代美 1999 初任教師の成長・発達を考える,藤岡完治・澤本和子編 授業で成長する教師(シリーズ新しい授業を創る5),ぎょうせい.pp.27-39.

浅田匡 1999 初任教師の成長・発達を考える,藤岡完治・澤本和子編 授業で成長する教師(シリーズ新しい授業を創る5),ぎょうせい.pp.41-50.

山田ようこ 1995 生涯発達をとらえるモデル,無藤隆・山田ようこ編 生涯発達心理学徒は何か,金子書房.pp.57-92.(秋田(1999)による)

2つの承認

齋藤純一と宮本太郎の議論において、齋藤は他者の承認を2つにわける(pp.8-9)。

 

1)尊敬としての承認

・他者を自律的な生を生きうる、その潜在性をそなえたものととらえる

・他者を自律的な存在者たり得るものとして尊敬する、という意味での承認

 

2)評価としての承認

・他者を社会的な協働のなかで何らかの活動をするものととらえる

・他者の活動を評価に値するものとみなす、という意味での承認

 

背景には、「「他者によって評価される私」というのが、人々の生にとって大きなプレッシャーとなっている」ことがあり、「個人の能力の査定としての評価とは相対的に区別された評価の軸を、どうやって形成できるかが鍵にな」るとする(p.8)

 

このあとにつづく、”無条件の権利”と”条件つきの権利”をめぐる議論は、大変考えさせられます。

 

もうひとつ、承認とは別の議論を参照しておきます。これも齋藤の発言から。

 

セキュリティという言葉が、ラテン語のセクーラ(se+cure)を語源とすること、すなわち、不安がない、心配がない、という意味であることを踏まえた発言です。

「不安、インセキュリティの意識を煽っては、それを動員する政治が、小泉政権でもアメリカのブッシュ政権でもそうだったように、この四半世紀ぐらい続いてきた。恐怖や不安が政治的に植えつけられることで、社会保障や雇用保障という意味でのセキュリティではなく、治安管理という意味でのセキュリティへの関心が増大してきました。そのなかで、人々を一方では働くことへと強迫していき、他方ではセキュリティを生存保障という非常にミニマムなところに還元することが行なわれてきた。インセキュリティが増大するとともに、セキュリティの中身も極めて貧弱なものになっていった。」(p.2)

 

私たちの課題となっている、「見とおしのわるさ」がここでもポイントであるように思います。

 

宮本太郎・齋藤純一 2010 対論 セキュリティの構造転換へ,宮本太郎編 社会保障―セキュリティの構造転換へ(自由への問い 2巻),岩波書店.pp.1-25.

 

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