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Tsuchikura Laboratory

質問紙調査のフィードバック(社会心理学・受講者へ)

社会心理学・受講者のみなさんへ)

  • 秋学期の社会心理学で質問紙調査にご協力いただきました。
  • 調査は、基礎演習(土倉クラス)の受講者が実施したものです。あらためてご協力いただきありがとうございました。
  • 実施者である基礎演習の受講者から結果報告が届きました。フィードバックを行います。
  • 報告資料には、分析の仕方、分析結果の見せ方(グラフのつくり方)、分析結果の解釈等に不十分な部分が残っていますし、問題と結果・考察の対応、方法の記述等も十分とは言えません。(その主たる理由は、教員の指導力不足、分析方法をまだ学んでいない1年生による報告であることにあります。)
  • それでは、不十分だとして、どこを、どのように改善するとよいでしょう。こうした点を考える材料になることも踏まえて、そのまま公開します。
  • 途中経過報告のつもりで、また、クリティカルな視線で、閲覧していただけたらと思います。
  • その上で、不明な点などがあれば、教員まで問い合わせてください。(担当教員)

(基礎演習・受講者のみなさんへ)

  • 一度一連のプロセスを体験していることで、調査法やデータ分析の授業で学ぶことの意味が理解しやすくなると思います。
  • また、スケジュールの都合で基礎演習では説明できていない部分も多々あります。ぜひ他の授業で学びを深めていってください。
  • 上記のとおり、報告資料(分析)には、今後、さらに改善する余地があります。どこをどのように改善できるのかについても、他の授業で学んだことを参考に、引き続き考えてみてください。2020年度に私が担当する授業でも扱う予定です。

 以上

現実へのアプローチと介入の根拠

「精神医学者、社会科学者としての我々は、世界が現にどうあるかを云々するよりも、観察者がどのように世界を観察するかに関心がある。現実の世界の存在に言及するための唯一の方法は、一観察者の視点を他の観察者のそれと比較することだからである。視点の差があればそこで観察者の心理的過程について何らかの推定が可能である。観察を数多く合わせたところで推定された現実と呼ばれるものの姿が浮かびあがってくる。しかし、推定された現実が実際に起こっていることの真の像かどうか誰も決めることはできないのである。/”現実”について仮定することは、にもかかわらず、有益である。(・・・以下、略。ベイトソンの議論が展開される。)」(ベイトソン,1989,p.297)

 

研究対象とするもの

・A:現実 → 知見の一般化

・B:ある人にとっての現実 → 知見の一般化はどうなるか? 

 

たとえば・・・

(1)Aに近いアプローチ

・「ある人にとっての」現実 → ある人にとってはこうである。

・・「ある人」をカテゴリ化することで、少なくともそのカテゴリには一般化できると主張する

・”世界”=1を、(たとえば)0.3とそれ以外(0.7)にわける

・「別の人にとっての」現実 → 別の人にとってはこうである。

 ・・「別の人」をカテゴリ化することで、少なくともそのカテゴリには一般化できると主張する

・”世界”=1を、(たとえば)0.3と0.3とそれ以外(0.4)にわける

相対主義に親和的

 

(2)Aから遠いアプローチ

・どのような状況で、どのようにみると、どのような現実なのか、という「パースペクティブ」と「現実」の関連性を一般化する

・あらかじめ、”世界”がどうなるかはわからないものの、”世界”にいたるメカニズムを解き明かそうとする。

→結果的に相対主義を免れる可能性。実在論

 

ベイトソン,G.(1989).個人、集団、文化.G.ベイトソン,J.ロイシュ 佐藤悦子・ボスバーグ,R.訳 『コミュニケーション』.思索社

 

介入して成功することの意味(2)

◇「介入」と「結果の評価」の関係

・「介入した」ところ、「成功」した、とする

・このとき、「介入した」ことが、「結果の評価」に影響を及ぼしていることがある

 

◇1:自分が「介入した」がゆえに、「結果の評価」が甘くなってしまった

・つまり、「介入」が「結果の評価」を汚染した

・これを避けるために、「介入した」人とは独立した第三者が「結果の評価」をすべき

→ ただし、以上の考えは素朴に過ぎる

 

◇2:「介入した」ことによって、そもそもの「問題」が変わった

・「介入した」ことによって、「介入する」前に「問題」と思っていたことが、間違えていた(十分とは言えない)ことに気づいた

・そのため、「問題」(と思っていたこと)と「介入」と「結果」の関係性を、当初の想定どおりに考えることができない

・むしろ「成功した」(今回はこの想定)という判断と「ほんとうの問題」が同時に言語化される

・この意味で、「介入した」ことが、「結果の評価」に影響を及ぼしている

 

(詳細は資料を参照)

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