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Tsuchikura Laboratory

フィールドワーク

 ロバート=パーク

君たちは、これまで何度かこんなことを言われてきただろう―― 「図書館に行って本を漁って山のようなメモをとり、体全体に埃をつけてくるように」。自分で研究する時のトピックを見つける時には、ちゃんとした記録があればどこからでも選んでいい、とも言われてきただろう。たとえそれが、疲れはてた役人が作った面白くもなんともない質問表に何かの補助が欲しい人がしぶしぶと答えたような、そんな記録があるところとか、小うるさい一人よがりの社会改良家ややる気のない事務屋が記入したような かび臭いおきまりの記録の山だとしてもね。そんなことが、「実際の調査で手を汚すこと」って呼ばれているんだ。君たちにそういうアドバイスをしてくれるのは、頭のいい人たちだし尊敬すべき人たちでもある。また、たしかに、その人たちがあげる理由というのはとても大切なものだよ。でも、もう一つどうしても必要なものがあるんだ。自分の目で見ることだよ。一流ホテルに出掛けていってラウンジに腰掛けてみなさい。安宿のあがり口に腰をおろしてみなさい。ゴールドコーストの長椅子やスラムのベッドに腰をおろしてみなさい。オーケストラホールやスター・アンド・ガーター劇場の座席に座ってごらんなさい。要するに、諸君、街に出ていって諸君のズボンの尻を「実際の」そして「本当の」調査で汚してみなさい。―― ロバート=パーク(佐藤郁哉,1992,『フィールドワーク』新曜社,p16より)

 船曳建夫

文化人類学をすすめます。理由は二つ。一つはあなたを幸せにするから、二つ目は世界をより良いところにするから。

これでは怪しげな宗教の勧誘のようですが、ほんらい学問はそういった具体的な意味をもつものです。・・・略・・・これからは、誰もが学問をするようになります。多くの人が料理をしたり、歌をうたうことで自分を表現し、またスポーツやダンスを通じて自分のからだを作っていくように、学問は知的な日常活動になっていきます。そうした中で、いよいよ学問は人と世界に対してどのような意味を持つのかが問われるでしょう。どうやったら人が幸せになり、世界がより良いところになるのか。そのためには学問が政治や経済といった活動と同様に、知性を働かすことで何ができるのか。学問をすすめるとしたら、それらの問に答えなければなりません。」(船曳建夫,1998,『文化人類学のすすめ』有斐閣,p4より)

「人間が生物として備えているものと、ある文化の中に生まれたのちに備わるもの、その複合物として私たち人間はあるのですが、そこには、常に人間が未だ作られつつあるものとして自分自身でも何になるかわからない、そうした「未だ開かれないもの」があるはずです。・・・略・・・「可能性としての未開」、それが私が理解する未開であり。いまもなお常に新鮮に驚かされるものなのです。」(船曳建夫,1998,『文化人類学のすすめ』有斐閣,p16より)

文化人類学をあなたの仕事としないとしても、あなたの知的活動の一部として、読み、聞き、話す機会を得るようにして下さい。文化人類学は、変わりゆくあなたが何であるのか、変わりゆく世界が何であるのか、それを日常の細部にわたるデータによって、人類という私たち自身の最大の枠組みの中で、そして、それを未だ探り得ない深い「未開」の底から解きあかそうとする学問です。それはあなたを幸せにすることに、そして世界をより良いところにすることにつながります。」(船曳建夫,1998,『文化人類学のすすめ』有斐閣,p20)

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