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Tsuchikura Laboratory

フィールドワーク

フィールドワークと素養

文化人類学者にフィールドワークの訓練が必要なことは、考古学者たるの資格に発掘の技術が不可欠であるにひとしいかも知れぬが、それはどこまでも目的のための手段にすぎない。もし、人類文化に対するなんらの全体的見通しも、基礎的知識もなく、あるいは人類文化の一局部だけの知識をたずさえて、いきなり特定の民族社会の実地調査に飛びこんだのでは、考古学の発掘のばあいにおけるよりも、もっとみじめなことになる。文化人類学者は、ひとり、あらゆる大陸のあらゆる民族についてのみならず、社会構造にせよ、宗教にせよ、物質文化にせよ、いかなる文化内容に直面しても、そこからこの学問の目的に応じた問題を引きだしうるだけの素養を、身につけていなければならない。(石田英一郎,1976,p5)

 

フィールドワークのスタンス

・・・私はやはり、人類学における調査の目標というものをはっきり心に抱いておくべきだと思う。この目標はひとによってもすこしずつ違うと思うのだが、私自身の考えについていうならば、フィールド・ワークとは、その土地へ入って、そこの人びとの生活慣習、生活の知恵などさまざまなことがらをまさに教えてもらう、学習することなのだと思う。なおこの点について論じている小西正捷氏は、「現地へ留学し、地元の人びととの相互学習することこそがもっともあるべき姿だ」という意味のことを書いている(「“人類学”私考」1972)が、私の言うところと一致するように思われる。現地調査を行なうときには、やはりこうした考え方をつねに忘れず、「教えていただく」という態度で相手に接しなければいけないのである。/そしてこの際、「調査される側の迷惑」という問題がさまざまに存在しているという事実を、決して忘れてはなるまい。そしてまた調査をすること自体が、相手の文化・社会に影響を与えてしまうという事実も重視する必要がある。(祖父江孝男,1979,p222-223)

上記で祖父江も指摘している、調査される側の迷惑については、宮本常一の「調査地被害」(1972)を含む論集(宮本常一・安渓遊地,2008)が ある。副題は「フィールドに出る前に読んでおく本」であるが、受講者のみなさんはフィールドに出て、すこししてから読むとよいかもしれません。

 

行為の記述

行為について述べるさいに、われわれは行為の「記述(description)」を用いる。行為 の記述とは、行為についてわれわれが述べるさいに用いる言語表現であって、「手を動かす」とか、「講義をする」、「引き金を引く」など、通常「・・・」 (カギカッコ)を使って表示している行為の言語的な分類のことである。だが、行為をどう言葉で表わすかという一見とるに足らぬように見える問題が、思った より行為のあり方の核心にかかわることは、つぎのような例を調べてみれば明瞭になってくる。私が仕事から帰って家のドアを空け、部屋の明りをつけるとしよ う。私のその同一の行為を数多くの仕方で記述することができる。*1から*6の記述はみな、私の同一の行為についてのものである。

*1「指を動かす」

*2「スイッチをひねる」

*3「明りをつける」

*4「部屋を明るくする」

*5「空き巣狙いに警告を与える」(空き巣狙いは私の帰宅前から物陰にひそんでいたのである)

*6「空き巣狙いに心臓発作を起こさせる」(警告を与えられびっくりして発作を起こしてしまったのである)

 この例からも分かるように、ある一つの行為を言語表現で記述する場合の幅は、きわめて柔軟でその幅を広くも狭くもしてやることができる。(門脇俊介,1996,p166-167)

 

知る権利/知らないでいる権利/知られないでいる権利

遺伝子診断は、医療情報をめぐって「知る権利」と同時に「知らないでいる権利」があることを教えてくれることになった。さらにもろもろの差別の恐れを考えると、病気のかかりやすさを第三者に「知られないでいる権利」というものもある。(尾関章,2013,p99-100)

 

文献

石田英一郎 1976 文化人類学入門,講談社講談社学術文庫29).

門脇俊介 1996 現代哲学,産業図書(哲学教科書シリーズ).

宮本常一・安渓遊地 2008 調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本,みずのわ出版. 

尾関章 2013 科学をいまどう語るか―啓蒙から批評へ,岩波書店(岩波現代全書019).

祖父江孝男 1979 文化人類学入門,中央公論社中公新書560).

※引用にあたり傍点や強調は削除した。

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