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日常生活の市場化

日常生活の市場化(マイケル・サンデル,2012)

かつては非市場的規範にしたがっていた生活の領域へ、お金と市場がどんどん入り込んできている(サンデル,2012,No.588)

サンデルはさまざまな例を挙げている。第1章で取り上げられているのは、行列(待つこと、並ぶこと)のような非市場的な財[善]の分配法〔並べば・待てばだれでも公平にアクセスできます〕が、市場〔たとえばダフ屋や転売〕に取って代わられることである。

 そのうえで市場の論理とその道徳的な限界を指摘する。ひとつは公正さに関する議論、もうひとつが非市場的規範にしたがっていたものを市場化することで生じる「腐敗」に関する議論である。

われわれは、腐敗というと不正利得を思い浮かべることが多い。だが、腐敗とは賄賂や不正な支払い以上のものを指している。ある財[善]や社会的慣行を腐敗させるとは、それを侮辱すること、それを評価するのにふさわしい方法よりも低級な方法で扱うことなのだ。(サンデル,2012,No.700)

例に挙げられるのは、議会の公聴会の入場料をとること、ヨセミテのキャンプ場の予約を転売すること、ローマ教皇のミサに参加する権利を売買すること。

宗教的儀式や自然の驚異を転売可能な商品として扱うことには、敬意が欠けている。真正な財[善]を儲けの道具に変えてしまえば、それを誤った方法で評価することになるサンデル,2012,No.754)

以上の導入を踏まえて、取り上げたいのは2章。この章のトピックは「インセンティブ」であり、つぎのような考え方が学問、さらには日常生活に入り込んでいることが議論の前提になっている。

生活のあらゆる領域において、人間の行動は次のように仮定することで説明できるというのだ。人々は、目の前にある選択肢のコストと利益を比較検討し、最大の福祉すなわち効用を与えてくれると信じる選択肢を選ぶことによって、何をすべきかを決めるのだと。サンデル,2012,No.926)

具体例として、経済学者ゲイリー・ベッカーの説明を引用している。

経済学的アプローチによれば、ある人が結婚を決めるのは、結婚に期待される効用が、独身でいることに期待される効用や、もっとお似合いの配偶者を探すことに期待される効用を上回っているときだ。(Becker, 1976;サンデル,2012,No.954)

こうした考え方は、サンデルが議論している経済学の領域のみならず、心理学とも密接に関連する。

人間のあらゆる行為を、市場をモデルに理解することは可能だろうか。経済学者、政治学者、法学者といった人たちが、この問題について議論をつづけている。だが、注目すべきなのは、こうしたモデルがいかに有力になっているかということだ――学問の世界だけで なく、日常生活においても。この数十年のあいだ、社会関係は市場関係をモデルにめざましい勢いで再構築されてきた。こうした変化がどの程度のものかを判断する一つの手がかりが、社会問題の解決のために、金銭的インセンティブがますます使われるようになっていることなのだ。(サンデル,2012,No.980)

インセンティブについてもさまざまな例が挙げられる。インセンティブが「有効」に働く側面、限界を露呈させる場面に関する議論(No.1161:授業の議論の流れとの関連でいうと、ここが重要)を踏まえて、金銭的インセンティブが与えられることで損なわれる価値観や姿勢があることに注意が向けられる。1章と同様の指摘である。

市場は社会規範にその足跡を残す。往々にして、市場的なインセンティブは非市場的なインセンティブを破壊したり締め出したりするのだ。(サンデル,2012,No.1256)

ところが、こうした指摘とは無関係に社会はインセンティブ化している。

現代生活においてインセンティブがますます利用されるようになっていること、また、誰かが意図的にインセンティブをつくり だす必要があることは、最近広く使われるようになった不格好な新しい動詞を見ればわかる。その動詞とは「インセンティバイズ」だ。 OED〔オックスフォード英語辞典〕によると、インセンティバイズするとは「(通常は金銭的な)インセンティブを与えることによって、(ある人物、とくに従業員や顧客)を動機づけたり 励ましたりすること」だという。この言葉が登場したのは一九六八年のことだが、この一〇年でよく使われるようになってきた。(サンデ ル,2012,No.1691)

以上のように、インセンティブ化する社会との向き合い方を考えさせられる章となっている。ある事例にたいして主張されているつぎの言葉は、その事例を越えて、インセンティブ化する社会にひとつの示唆を与える。

われわれは操られる立場を乗り越えるべきである (サンデル,2012,No.1152)

 

*先日の授業の議論との関連で言うと、自分たちの行為がインセンティブ化されていることを理解しつつも、それに乗ることを選んでいること、インセンティブ化された構造に反発をおぼえつつも、そこからはみ出る方策を見出せないこと、この議論が私たちが取り上げているトピックに限定されるものではなく、より一般的な広がりをもっていることが理解できると思います。

 

アートと思想と批評をめぐる出版の可能性(木村元・小林えみ・櫻井拓:編集者3名による座談会)

小林:・・・略・・・今きちんと売って読まれることが前提ですが、100年後の読者に恥ずかしくない本作りをしたいと思っています。・・・略・・・

櫻井:今の出版界は、悪い意味でマーケティング的すぎると思います。読者のニーズを探ることに熱中し、あたるであろうと思われている本、思われていると思われている本、思われていると思われていると思われている本、と、幻想の美人投票をしがちです。そして内発的なモチベーションが不在のまま出版を繰り返し、書き手や企画を消尽してしまう。それによって人材の長期的な育成が困難になっているように思います。その悪循環をどうにか切断したい。

「多くの場合人々は、自分が欲しいものを見せられるまで、何が欲しいかわからない」というスティーヴ・ジョブズの言葉がありますが、読者のニーズ通りの本を作ることは、ある意味では読者を侮辱していると僕は思います。読者は予測できる満足よりも、予測外の驚きのほうを求めているのではないでしょうか。欲し いと思っているものが欲しいのは当たり前のことで、むしろ、欲しいと思っていなかったけれども「こんな本があるのか」「この本があってよかった」と思ってもらえるような本を作り、売るべきです。

表象文化論学会ニューズレター REPRE,24,2015年5月)

 

サンデルによるインセンティブが有効に働く側面、限界をみせる側面の議論とも関連しますが、いかにして「いま・ここ」を越えるのか、予期できることを越えるのか、そのヒントが示されているように思います。

 

文献

サンデル,M.鬼澤忍訳 2012 それをお金で買いますか―市場主義の限界,早川書房.〔引用のNoはKindleの頁を表わしている〕

木村元・小林えみ・櫻井拓 2015 アートと思想と批評をめぐる出版の可能性,表象文化論学会ニューズレター REPRE,Vol.24,2015年5月(アートと思想と批評をめぐる出版の可能性

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