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ヴィゴツキー著作年表(部分)

【概要】

ヴィゴツキー(1896-1934)の代表的な著作について、執筆した年(執筆したと想定される年)や報告した年を中心にまとめています。

・Vygotskyの論考を、Michael Cole、Vera John-Steiner、Sylvia Scribner、Ellen Soubermanが編集したMind in Society(1978)のVygotsky's Worksに網羅的な文献リストがあります。こちらも参照しました。(2015年12月にひとまず追記終了します)

 

【年表】(著作は邦訳があるもののうち、一部を記載したにとどまります)

1896年11月17日(旧暦11月5日) 白ロシア(ベロルシア)の首都ミンスクの近くの都市オルシア(オルシャ)に生まれる。

1916年2月 「デンマークの王子ハムレットの悲劇、W.シェイクスピア」(卒業論文。『ヴィゴツキーの生涯』に拠る)※1915年版と1916年版がある(『芸術心理学』の一部)

1917年 モスクワ大学法学部とシャニャフスキー人民大学 歴史・哲学科を卒業

1920年 結核で入院

1924年1月 第二回全ロシア精神神経学会で報告。「反射学的研究と心理学的研究の方法」

1924年 ローザ・スメホワと結婚。快活で聡明な美しい女性で、度重なる困難な情況にあっても気落ちせずにいられる人。むむむ(レヴィチン,p48)

1924年11月報告、25年1月掲載「障害児教育の原理」(『障害児発達・教育論集』所収、4章)

1924年「障害児の心理学と教育学」(『障害児発達・教育論集』所収、3章)

1925年 『芸術心理学』(学位論文修士や博士ではなく第一級研究員。初稿は1916年。1915年に執筆されたものもある。『芸術心理学』、『記号としての文化』は第2部を所収)

1925年11月から数ヶ月 結核で入院

1925年「行動の心理学の問題としての意識」(『心理学の危機』所収)

1925年(完成)『芸術心理学』

1926年(出版)『教育心理学講義』

1926-27年 「心理学の危機の歴史的意味」(『心理学の危機』所収)

1928年「児童学における道具主義的方法」)"The Instrumental Method in Psychology"か

1928年「子どもの文化的発達の問題」"The Problem of the Cultural Development of Children"か((ヴィゴツキー心理学論集』所収、5章、「心理科学」誌,12(2))

1928-29年 「児童期における多言語併用の問題によせて」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅳ章)"The Question of Multilingualism in Childhood"か

1928-29年 「書きことばの前史」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅴ章)

(1929年「思考と言語の発生基盤」)"Developmental Roots of Thinking and Speech"

(1929年「健常児の文化的発達概説」)

1929年1月「現代障害学の基本問題」(『障害児発達・教育論集』所収、1章)

1929年「人間の具体的心理学」(『ヴィゴツキー心理学論集』所収、12章)

1930年前後「障害児の発達と教育に関する学説」(『障害児発達・教育論集』所収、2章)※執筆年の推定は訳者による

1930年までには完成 「子どもの発達における道具と記号」(『記号としての文化』所収、『新児童心理学講義』抄訳所収)

1930年「心理学における道具主義的方法」(『心理学の危機』所収)

1930年『人間行動の発達過程―猿・原始人・子ども』(=『行動の歴史試論』)ア・エル・ルリヤとの共著)

1930年10月「心理システムについて」(=「精神体系について」)(『ヴィゴツキー心理学論集』所収、1勝)

1930年12月「意識の問題」(『ヴィゴツキー心理学論集』所収、2章)

1930年「心理と意識と無意識」(『ヴィゴツキー心理学論集』所収、3章)

1930-31年 『文化的‐歴史的精神発達の理論』(いわゆる『高次精神機能の発達史』)"The History of the Development of Higher Psychological Functions"

・草稿の前半の理論編のみが『高次精神機能の発達』として出版(邦訳は『精神発達の理論』)

・その後、個々の高次精神機能の発達に関する草稿の後半もあわせたものが出版(『文化的-歴史的精神発達の理論』)

1931年『思春期の心理学』(=『少年期の児童学』)

1931年「障害児の発達要因としての集団」(『障害児発達・教育論集』所収、7章)

1931年「困難を抱えた子どもの発達診断と児童学的臨床」(『障害児発達・教育論集』所収、9章)

1931年5月「知的障碍児の発達と補償の問題」(『障害児発達・教育論集』所収、6章)

1932年『子どもの心はつくられる』(=『心理学に関する講義』)

1932年「重度障害児の教育」(『障害児発達・教育論集』所収、8章)

1933年3月 「教育過程の児童学的分析について」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅶ章)"Pedological Study of the Pedagological Process"

1933年5月 「生活的概念と科学的概念の発達」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅵ章)"Development of Common Sense and Scientific Ideas duaring School Age"

1933年12月 「教授・学習との関連における学齢時の知的発達のダイナミズム」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅲ章)"Dynamics of Mental Development of School Children in Connection with Education"

(1933年「子どもの心理発達における遊びとその役割」講義録)"Play and Its Role in the Psychological Development of the Child"

1933-1934年 「学齢期における教授・学習と知的発達の問題」(『「発達の最近接領域」の理論』所収。Ⅰ章)

1934年 『思考と言語』

(1934年「高次精神機能の発達と崩壊の問題」学会報告)"Problem of Development and Destruction of the Higher Psychological Functions"

(1934年「情念に関するスピノザデカルトの学説―現代精神神経学の光に照らして」未完手稿)"Spinoza's Theory of the Emotions in Light of Contemporary Psychoneurology"

(1934年「心理学と精神機能の局在説」)"Psychology and Teaching of Localization"/"Psychology and Localization of Function"

1934年6月11日(旧暦;生誕の旧暦11月5日に対応)

 

その他

知的障害の問題」(『障害児発達・教育論集』所収、5章)1935年出版の論文集のために執筆。

 

 

「レフ・セミョーノヴィチ・ヴィゴツキー(Vygotsky)は、一九二〇年代初め、それまでの自分の姓Vygodskyのdをtに変えている。理由は、その姓が家族の先祖が住んでいた部落ヴィゴトヴォ(Vygotovo)に由来すると見たからである。」(レヴィチン,1984,p20)

 

 

「エリ・エス・ヴィゴツキーの創造の過程」(A.A.レオンチェフ,1987)

19世紀末から20世紀初頭:ロシアにいくつかの実験室が作られる。

1912年:モスクワ大学ソビエト最初の心理学研究所 が作られる。観念論的心理学者のゲ・イ・チェルパノフが指導。

・心理学者にとっての課題は、哲学的観念論に依拠する個人意識の内観的心理学にかわる新しい理論をつくること。

・新しい心理学は、弁証法唯物論史的唯物論の哲学から出発するもの(=マルクス主義心理学)でなければならなかった。

1920年:ペ・ペ・ブロンスキー『科学の改革』『科学的心理学概論』

1923年1月:カ・エヌ・コルニーロフが第1回全ロシア精神神経学会で「心理学とマルクス主義」を報告

・学会後、チェルパノフ率いる観念論的心理学者とコルニーロフ率いる唯物論的心理学者の論争

1923年11月:国家学術会議の決定が心理学研究所の所長職からチェルパノフを解任、コルニーロフを任命

1924年初頭:研究所の改組。新しい所員の採用。それぞれにマルクス主義心理学の建設を目指す。

・コルニーロフたち:反応学の理論

・エヌ・ア・ベルンシュテイン:運動の構成の研究 ※あのベルンシュタイン

・エス・ゲ・ゲレルシュテインやイ・エヌ・シュピリレイン:労働心理学(精神技術学)

・ア・エル・ルリヤとア・エヌ・レオンチェフ:共役運動法による研究

・ヴェ・エム・ボロフスキー:動物心理学 などなど

※その道程には俗流唯物論(ベヒテレフの機械論とエネルギー論、生理学的還元論、心理の生物学主義的把握)との闘いがあった。

1924年1月:第2回全ロシア精神神経学会。コルニーロフがヴィゴツキーを心理学研究所で働くように招く。

1924年ヴィゴツキーがゴメリからモスクワに転居。同研究所で働き始める。

1927~31年:ヴィゴツキーとその仲間たちの研究が充実。ヴィゴツキー以外に重要なものとして下記。

・1927年:エリ・エス・サハロフ「概念の研究方法について」

・1931年:ア・エヌ・レオンチェフ『記憶の発達』

・1931年:ジェ・イ・シフ「生活的概念と科学的概念の発達」

ヴィゴツキーの思考をたどるうえで重要なこと:フランシス・ベーコンの言葉、ヴォルフガング・ケーラーの実験、それをうけたカール・ビューラー、クルト・コフカの実験。)

 

 

ヴィゴツキーと共同研究者たちの仕事の拠点(レオンチェフ,1987)

モスクワ大学付属心理学研究所

クループスカヤ記念共産主義教育アカデミー

・実験欠陥学研究所

・モスクワ第一医科大学精神病院

 

 

アレクサンドル・アファネシェヴィチ・ポチェブニャ(ポテブニャ):19世紀のロシアの言語学者。『思想と言語』。文藝学における歴史的方法を発展させた。ヴィゴツキーの歴史主義的な思考に影響を与えた。

アレクセイ・ニコラエヴィチ・レオンチェフ(1904-1979)

アレクサンドル・ロマノヴィチ・ルリヤ(1902-1977)

アレクサンドル・ウラジミロヴィチ・ザポロージェ

セルゲイ・レオニードヴィチ・ルビンシュテイン

ダニール・ボリソヴィチ・エリコニン

レフ・ペトロヴィチ・ヤクビンスキー

 

(教員)

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