フィールドの「動」をとらえるのはむずかしい。いったい何を描いたら「動」をとらえたと言えるのか。
参考文献:南博文「山を舁いてみた博多―走る身体と勢いの場の現象学」
博多の祇園山笠
・山:通常の祭りでは神輿と呼ばれるもの
・山を舁く:山笠に参加し、山をかついで走ること
・「祭りについて」研究する姿勢から「祭りそのものへ」
・「例えてみれば、「風が吹く」という日常現象について、「それはどんな体験なのですか」と誰かから問われたとき、どう言葉によって表し、自然科学の説明ではなく、人間が経験する「風とはどのようなものか」を明らかにする作業に似ている。」(p15)
勢いにどうアプローチするか
・「「山に勢いがある」というときの勢いは、どのような意味で「ある」のか。これは「勢いとは何か」という問いと背中合わせである。勢いの現象学は、必然的に勢いの存在論を要求する。」(p36)ここから山の勢いをとらえるひとつの存在論・概念枠組みが示されていく。
※この議論を踏まえれば、ほかの現象に示される「勢い」もとらえられるということではありません。しかし、勢い、動、プロセスといったことにアプローチしようとする人にとって、学ぶことが多い刺激的な論考だとおもいます。
文献
南博文(2008)山を舁いてみた博多―走る身体と勢いの場の現象学,サトウタツヤ・南博文編 社会と場所の経験(質的心理学講座3),東京大学出版会.