「老人は公の活動に与っていないと言う者はまともな議論をしていない。それはちょうど、船を動かすにあたり、ある者はマストに登り、ある者は甲板を駆けまわり、ある者は淦を汲み出しているのに、船尾で舵を握りじっと座っている舵取りは何もしていない、と言うようなものである。確かに若者のするようなことはしていない。しかし、はるかに大きくて重要なことをしているのだ。肉体の力とか速さ、機敏さではなく、思慮・権威・見識で大事業はなしとげられる。老年はそれらを奪い取られないばかりか、いっそう増進するものなのである。」(キケロー,2004,17番)
いつまでも甲板を駆け回っているのはゆるされないのかもしれません。
しかし周辺から十全への学びと新しいポジション取りの学びには「跳躍」が必要にも思われます。
その接続はどうなっているのでしょうか?どうすれば跳躍の負荷を減らすことができるのでしょうか?
(補足)
上記のキケローの言葉は、故・金森修先生の講座の動画で知りました。
講義は2013年9月29日に実施されたものとのことです。
講演のURLは下記になります。
http://todai.tv/contents-list/lp1hp1/2013fall/04
老年の意味に関する議論は動画の21分頃からになります。