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Tsuchikura Laboratory

パフォーマティブか深層か/方法か内容か

中沢(1992)より

 

共有される前提:説話の内容は説話の秩序に組み込まれている

 

プロップ:説話の形態学、ロシア・フォルマリズム

・多数のロシア民話を分析 → 説話の秩序を析出する

  ⇔

レヴィ=ストロース構造主義

・多数の説話から、互いに変換の関係にある「思考の原子」を取り出す

 → 変換の構造に意味を探ろうとする

 

中沢による南方熊楠のアプローチの説明

「熊楠は、フォークロア資料の採集と分析には、象徴やテキストを「垂直に」横断していく視点の導入が必要だ、と語っているのである。フォークロアには、さまざまな表現の層がある。あるものは、ほんらい「思考」であり「具体の科学」である民俗の裸の状態に近く、またあるものは、ソフィストケートされた文学などからの影響によって、裸の状態からの変質を体験してしまっている。・・・略・・・民俗学者は、それらの「民俗学材料」の質の違いを見分けることのできる感受性と諸記号を垂直に横断する視点とを、もっていなくてはならないのである。」(pp.220-221)

「民俗の採集者は、おもしろい伝説や説話には、とくに注意しなければならない。そこに、話をおもしろくするだけのための、嘘が混入していないかどうか。古そうに見えて、芝居や物語本の影響をこうむってできて、じっさいには「新出来」の作物にすぎないのではないか。そういう点をきびしくチェックできなければ、正しい民俗学材料の採集者とは言えない、と熊楠はことあるごとに語っている。それをチェックするために、熊楠が考案した方法は、同じ話者から同じ話を何度でもくりかえし聞き出す、というやりかただ。「この話は、もう前にお話したでしょう」。「そうかな、まあそれでもいいから、話してくれ」。「そうですか。これは以前、安堵ガ峰でじっさいにあった話です・・・・・・」。こうしていると、説話のほうが退屈してきて、その場かぎりのおもしろさを追求するために付け加えた部分だとか、ドラマツルギーのために民俗の論理をねじ曲げたり、合理化したり、単純化してしまった部分だとかが、そのうちにくっきりと浮かび上がってくるものだ、というのである。こういうきびしいチェックに耐えたものだけが、民俗学の材料として残る。」(pp.223-224)

 

文献

中沢新一 1992 森のバロックせりか書房

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