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時間はたっぷりある

いまの議論において重要なのは、下記引用箇所の太字の箇所。

 

功利主義を擁護する者は、しばしば次のような反対論にこたえることが必要となる。つまり、行為の前に、どんな行動が社会全体の幸福に影響をおよぼすかを計算し考慮している暇はない、という反対論である。これは、なすべきことが起こるたびにいちうち旧約聖書新約聖書を読み直している暇がないから、キリスト教を行為の導きにすることができないという議論とまったく同じである。/この反対論には、時間はたっぷりある、とこたえればよい。人類が生き続けてきた過去の全時間がわれわれに与えられているのである。この全時代を通じて、人類は、いろいろな行為のいろいろな傾向を経験し、習得してきたのである。人生の思慮分別、あらゆる道徳が、このような経験にもとづいている。ところが人々〔反対論者;引用者注〕の話をきいていると、この経験の開始が今まで延期されていたみたいである。他人の財産・生命に危害を加えたくなった瞬間にはじめて人間は、殺人や窃盗が人間の幸福に有害かどうかを考え始めるものときめてかかっているようにきこえる。」(ミル,1967,pp.484-485;太字は引用者)

 

ミルの関心を離れて、私たちが考えるべき問題は、人類が生き続けてきた全時間は、行為においてどのような資源としてあるか、ということ。この点についてミルはヒントを提供している。それは私たちにとって望むこたえだろうか?

 

「道徳問題についてこんな無意味な議論をすることを、人々は本当にやめなければならない、ほかの実際的な問題について、こんな馬鹿げたことを言ったり聞いたりする人はいないではないか。水夫に航海暦を自分で算出する暇がないからといって、航海術が天文学にもとづいていないとはだれも言わない。水夫だって理性的動物なのだから、すでに計算済みの航海暦を携えて航海にでかけるのである。そして、すべての理性的動物は、正邪というふつうの問題について、また、もっとむずかしい思慮分別の問題ならばその多くについて、ちゃんと意見をきめたうえで、人生の航海にのりだすのである。先見が人間の特性であるかぎり、人類はこういうことをつづけるものと思われる。」(同,pp.485-486)

 

惜しい、、関心からずれてしまった。

 

ミル,J.S.伊原吉之助訳 1967 功利主義論 関嘉彦編 世界の名著38ベンサム J・S・ミル,中央公論社

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