tsuchikulab

Tsuchikura Laboratory

行動の結果を羅列するのとは異なる記述

「こうして大勢の子どもを保育するとき、大方の保育者の目は、「縄跳びを跳んだ」「公園に散歩に行った」「完食した」「すぐに午睡に移れた」等々、子どもの行動の結果に向かい、記録を書くときにもそのような行動の結果を羅列することで保育の経過の記録としてきたところがありました。明らかにその方が楽だからです。

 しかし、子どもの気持ちに寄り添ってみれば、そのようなさまざまな行動の背後には、必ず子どもの気持ちや思いが動いているのが分かるはずです。目には見えない子どもの心の動きは、しかし寄り添った保育者の身体に染み込んできます。遊び込めない子どもの背後に、朝叱られて登園してきたことを引きずっている気持ちが汲み取れたり、暗い表情の裏に、難しい家庭事情のゆえの不安がうかがえたり・・・・・・もしも保育者が子どものそのような思いを感じ取ることができれば、そこからそのような思いに添った対応がしぜんと紡がれるに違いありません。」(鯨岡・鯨岡,2009,pp.15-16)

 

「行動の結果を羅列する」のとは異なる記述のアプローチが後半に示されています。

・同様の方向性を、著者らとは少々異なるスタンスで、どのようにとることができるでしょうか?

・それをいつもちいるとよいのでしょう?

 

文献

鯨岡峻・鯨岡和子 2009 エピソード記述で保育を描く,ミネルヴァ書房

Copyright©2013- tsuchikulab All Rights Reserved.