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ベンヤミンの経験と体験(吉中,2010)

 吉中(2010)が脚注で言及しているベンヤミンの「経験」と「体験」の区別。

 

ベンヤミンは「経験」という語を、「体験(Erlebnis)」と区別しながら、独自の意味を付与して用いている。経験は、記憶(Gedächtnis)、すなわち現在の感覚的知覚と過去のそれとを接続する能力と深く結びついている。現在の感覚的知覚と過去のそれとが接続されるときには、自分では忘れていた過去の記憶(無意思的記憶)が想起(eingedenken)され、クロノロジカルな時間進行が中断される。一方、記憶と結びつかない反射的で表層的な現在の知覚は、体験と呼ばれる。体験においては現在の知覚は、意識的な記憶の領野に留まるのみである。経験が文化的記憶や個人的記憶の想起と結びつくことで、人々に伝統への参与の感覚や、統一的主体性の感覚を与えるのに対し、体験はそれらからの疎外の感覚を人々に与える。近代的技術メディアは、膨大な量、めまぐるしいスピードの感覚刺激(ショック)でもって人間に迫るが、人間の意識はこの処理能力を超える量の刺激に対して防御的反応をとる。それは感覚的知覚を記憶と深く結びつけるのではなく、意識の表層だけで処理するという反応である。この結果、現在の感覚的知覚は過去と結びつけられることなく、表層的、瞬間的なものに留まる。これが経験の貧困化=体験である。」(p.62)

 

 吉中智里 2010 ベンヤミンと映画―非・一方通行路.美学芸術学論集,6,59-63. 

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