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製作者を堕落させるような労働

働くこととやりがいについて。それを個人の問題に矮小化しない考え方。

ウィリアム・モリスの「民衆の芸術」から。

旧字体新字体にあらためた。強調は省略した。誤りがあれば教えてください。

 

 「為す価値のない、あるいは製作者を堕落させるような労働によって作られねばならぬものは人間の労働によって作られるべきではない。・ ・ ・略・・・この制度〔=文明諸国の現在の労働制度〕はその作るものが作る価値あるものか否かというようなことには注意しない―注意することができないのだ。この制度は、製作をする人がその仕事のために堕落するのではないか否かというようなことにも注意しないし、注意することもできない。その注意することは唯一つ、すなわちいわゆる「儲かる」かどうかということなのだ。」(p.84)

 

「現代生活を楽しいものにしようとするならば、必要な二つの徳があるとおもう。そして、製作する人にも、使用する人にも幸福なものとして、民衆により、民衆のために作られるべき芸術の種をまくに際して、この二つの徳は絶対に必要であると信ずる。それは誠実と簡素な生活とである。意味をはっきりさせるために、この第二の徳に対立する悪徳の名をあげれば、奢侈である。また誠実というのは、各人にその受けるべきものを注意深く、熱心にあたえること、他人の損失から利益をうるようなことはしまいという決心であって、これは私の体験によるとありふれた徳ではない。」(p.33)

 

「為す価値があり、それをすることが愉快でもあるような労働をすべての人々は為すべきであるという事は正当にして必要なことである。しかしてかかる労働は過度に疲労をあたえたり、苦悩をあたえたりしないような条件の下に為さるべきである。/この要求をどうをひねくってみても、どれほど長く考えてみても、私はそれが法外な要求であると考えることはできない。もし社会がこの要求を認める気になるならば、認めることができるならば、この世の全貌は一変するだろうと、ここに繰り返しいっておく。・ ・ ・略・・・他人にとっては有益な、自分にとっては楽しい労働をしているのだという感激、そのような労働とその正当な報酬とがかならずわれわれを訪れるという感激は如何ばかりであろうか。・・・略・・・労働は為す価値のあるものでなければならぬ。これがこの世の中にどんな変化をうむかを考えてみたまえ。実際、無用な品物をつくるために行われている労働の莫大な量をおもうと私は茫然としてしまう。」(p.67)

 

モリスの抱えた問題については國分・山崎(2017)でも指摘されていました。

では、活路はどこに見いだされるのでしょうか。

 

ウィリアム・モリス 中橋一夫訳 1953 民衆の芸術,岩波文庫

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