tsuchikulab

Tsuchikura Laboratory

生来のものと思われがちだけれど

ケニア人の長距離選手の話(シェンク,2012)

 

ケニア人のトップ選手の九〇パーセントはケニア西部のグレートリフトバレー地区に居住するカレンジン族の出身である。」(p.126)

「一流アスリートのあいだで飛び交うジョークである。ケニア人の抜群の走力に対抗するため、他国の人間にできることは何だろう? 答え=ケニアにスクールバスを贈ること。」(p.129)

「カレンジン族の子供は長い距離を走る必要に迫られることが多く、七歳以上の子供は一日平均八キロから十二キロを走るという。」(p.129)

 

シェンク(2012)は遺伝と環境の見方の変化を紹介しています。才能(*)は一部の人びとが所有する「もの」のようなものではなく、「プロセス」だという見方が説明されます。

 

「プロセス」には複数の時間軸がありますが、ここではひとまず個体発生レベルのみ引用しました。

 

「並はずれた成功者とたんなる凡人とのあいだには、埋まることのない、どこまでも深い溝があるという感覚である。自分とは違って、あの人は何かをもっている。あのように生まれついている。生来の才能に恵まれている。/われわれの文化にはこういう仮定が織り込まれている。」(p.74)

 

・「「才能」をオックスフォード英語辞典で引くと「天分。生来の能力」と説明されていて、その出典は『マタイによる福音書』に記された才能についてのたとえ話である。「才能のある」「才能のある状態」という言い方は十七世紀から使われている。現在の定義での「天才」が使われはじめたのは十八世紀のことだ。」(pp.74-75)

*才能(talent)、才能のある(gifted)、才能のある状態(giftedness)、天才(genius)(p.74)

 

文献

シェンク,デイヴィッド 中島由華訳 2012 天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当,早川書房

Copyright©2013- tsuchikulab All Rights Reserved.