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Tsuchikura Laboratory

何のために学ぶのか

社会心理学者のジョナサン・ハイトは、アメリカのポピュリズムのベースにある感情として、エリートへの怒りがあることを指摘します。また、他の国のポピュリズムにも共通することとして、エリートを信用できない、エリートは腐敗していると感じていることを挙げています。こうした議論のなかで、エリートに関する補足としてつぎのように述べます。

 

アメリカの大きな問題は、ヨーロッパやアジア全体にも当てはまると思うのですが、直近の10年、社会が若い人に課す競争試験にそれまで以上に頼ってきたことです。どうやって大学に入りますか?試験でいい点を取るしかありません。ですからアメリカのエリート支配は、アジアでもそうですが、本当の能力に基づいたものではありませんし、リーダーシップに基づいたものでもありません。何かをつくり出せる能力に基づいてもいないのです。/学校や塾、そして試験でいい成績を取ることに基づいているだけです。それにもかかわらず、試験でいい点を取って、国でトップ3の大学に入って、コンサルティング会社や法律事務所でトップの職に就けば、「私は誰よりも頭がいいし、誰よりも努力した。こうなって当然だ」と心から感じるようになってしまうのです。/エリートがこれまでになく庶民を軽視している、もっと言えば無視していると言うべきですね。試験が庶民に無関心でいる原因の一つになっています。彼らは自分たちより経済的に恵まれていない人々を知らず、自分たちは幸福に値すると強く思っています。ですから私たち全員、社会全体が、競争試験にとてつもなく重きを置くことを心から疑う必要がある段階にきていると考えます。」(ハイト,2018,pp.64-65)

 

主張は明確です。ハイトが「本当の能力」をどうとらえているのかも気になりますが、ここでの私の関心は、なにを目指して教育・学習にとりくむのか、ということにあります。(これによって、「試験」のもつ意味は大きく変わりそうです。)

 

鶴見俊輔(1999)はつぎのように述べます。

「生徒のほうから学校を見ると、よい幼稚園に入ってよい小学校、よい中学校、よい中学校に入ってよい高校、よい高校からよい大学という、試験につよい子どもをつくるには、あたえられた問題に正しい答をすぐにそこで出さなくてはならず、その正しいただひとつの答は目の前の教師がもっているので、もっとも短い時間に教師の心中に達する学者犬の反射が、小、中、高と12年にわたって植えつけられる。ひとつの問題にたいしてひとつの正しい答があるという想定はうたがわしいし、そのただひとつの答を、教師はいかにして所有しているのかを追求するときりがない。」(鶴見,1999,p.16)

「きまった答を出すことを学問と考え、自分は学問ができるという自信をもって大学に入ってくる生徒に、大学は、その態度をうちくだいて、自分で問題をつくる方向にむけて馬首をたてなおすことができるだろうか。」(同,p.17)

 

まずはこれがひとつ。もうひとつ重要なことがあるように思います。それはハイトが述べたことのなかに見え隠れしています。

(私の学び観はこれにとどまらないため、言い切るのはむずかしいのですが、重要な視点であることは間違いありません。)

 

学び舎をいちど後にするかたは、自分の学びをふりかえってみて、別の場所での学びにいかしてみてください。

これから学び舎に来られるかたは、どうぞよい学びを。

 

ハイト,J.2018 ただすべてを焼き尽くしてほしかった,丸山俊一・NHK「欲望の民主主義」制作班 欲望の民主主義,幻冬舎.(幻冬舎新書)※ハイトへのインタビュー

鶴見俊輔 1999 教育再定義への試み,岩波書店

 

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