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Tsuchikura Laboratory

だれも漕いでいない自転車は進み続ける

「意志は能動的な現象であって、受動的な感受性の状態である欲望とは別ものである。そして、もともと欲望から枝がわかれたものであるが、やがて根を生やし、親株からわかれてしまうこともある。だから、習慣的な目的の場合、しばしばわれわれは欲するから意志するのではなく、意志するから欲してしまう。けれどもこれは、習慣の力という周知の事実の一例にすぎず、けして有徳な行為の場合にかぎらない。人々は、何かの動機ではじめたどうでもよい多くのことを、習慣で続けている。」(ミル,1967,p.502)

 

欲望→意志、意志→欲望

・習慣化したこの過程を支えている資源は何か?

 

「また、意識的な決意ではじめても、その決意が習慣化しており、おそらく慎重に考慮した選択に反して、習慣の力で動かされているということもある。これは、悪い、有害な耽溺という習慣に陥った人たちによくあることだ。」(同,p.502)

 

意志が習慣化。(意志→)習慣

・ある程度自転車をこげば、車輪は惰性でまわりつづける

・習慣への過程を支えた資源は何か?意志の代わりをしている資源は何か?

 

〔一部議論を省略したが;引用者注〕「以上のように理解された意志と欲望の区別は、確実できわめて重要な心理的事実である、しかしその事実は、もっぱらこういうことを意味する―意志は、われわれの身体を構成する他のあらゆる部分と同じように、習慣になじみやすいこと、さらに、われわれはもはやそれ自体のために求めなくなったものでも習慣にしたがって意志したり、意志するというだけの理由で欲求したりできること、である。だからといって、意志がはじめはまったく欲望から生まれたものだという真理が、少しでも否定されるわけではない。」(同,p.502)

 

「意志は欲望の子であるが、生みの親の支配からぬけでたとたんに、たちまち習慣の支配をうける。・・・中略・・・徳を促進する快苦の連想の影響力が習慣化するまでは行為の一貫性に十分な信頼性がおけないのであるが、もしそうでなければ、徳が快苦を離れて独立の目的になることを願っても意味がないであろう。感情や行動に確実性を与えるのは習慣だけである。そして、正しい行ないをしようとする意志がこういう習慣的独立性をもつまで開発されるべきであるのは一人の人間の感情や行動に絶対の信頼がおけることが他人にとってたいせつだからであり、自分自身の感情や行動に信頼できることが当人にとってたいせつだからである。」(p.503)

 

習慣を取りまいているあれこれ。慣性の法則(たとえば土倉,2014;2017)

 

ミル,J.S.伊原吉之助訳 1967 功利主義論 関嘉彦編 世界の名著38ベンサム J・S・ミル,中央公論社

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