議論の流れのメモ
人はつねにその人であり、行為はつねにそのようになされるはず、と想定している
→ 行為を、個人(や特性)に過度に帰属しすぎている
⇔
行為と資源の調整された関係性の観点からとらえる
・行為は、その人を取り巻く資源、資源へのアクセシビリティの状態とのかねあいで生じる
・資源と資源へのアクセシビリティからなるサーキットは結果的に安定している。そこには「慣性の法則」が働いている(=資源を前提にパーソナリティを定義する議論との関連。丸太をジャンプ!)
→ そのため、これらが変わらなければ、たしかに、行為はそのようになされ、その人はその人である蓋然性は高い
どうしたらよいのか?
・行為を可能たらしめる資源、資源へのアクセシビリティの状態を特定・把握する
↓
・それに代わる資源を準備する、別の資源へのアクセシビリティを高める/身の回りにある資源に気づく。この作業は本人がやるといい。他者がサポートするのも可。ただし、代わりにやっては意味がない。
・これまでとは異なる資源の布置からなるサーキットに慣れる。別の「慣性の法則」をつくる。ところが、レジリエンスがあり「回復」してしまう。他者がフォローアップするといい。ここがふんばりどころ。
別に考えるべき問題
・多様な状況において、自分で、ある行為をなすように、資源をととのえられる(=状況を構築する傾向性をパーソナリティとする議論)
・検討課題:ベイトソンの議論との関連
(参考文献:土倉,2014)