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わかりやすいということ

わかりやすいことはよいことなのか?ということがテーマになりました。

たとえば、伊勢田(2005)は文章についてつぎのように述べています。クリティカルシンキングとは異なる考えかたとして示されるものです。

 

「『読者にたくさん考えさせる文章がよい文章だ』という評価基準で考える人たちも哲学研究者の中にはいる。この基準からすると、一見矛盾したようなことを言ったり、比喩的な言葉をたくさん使ったりしたほうが、読者もたくさん頭をひねるのでよい文章だということになる。逆に、論理の明確さにこだわる英米系のわかりやすい文章は「つまらない」と一刀両断されてしまう。要するに、文章というものを何かを主張したり伝達したりする媒体だと考えず、思考触発装置だと考えるわけである。」(伊勢田,2005,p.16)

 

・例に挙げられている立場はやや極端なものかもしれません。しかし、そのような考えかたがあることを踏まえれば、私たちの求めるわかりやすさが何を志向しているのか(明示的に、そして副次的に)を省みてもよいのかもしれません。

・わかりやすい、あるいは、明晰であることを、どうして求めているのか、誰に向けて、どのようなことをねらっているのか、また、誰が求めているのか、ということを考えてみてもよいかもしれません。

 

伊勢田哲治 2005 哲学思考トレーニング(ちくま新書),筑摩書房

 

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