フランスで中等教育終了時に受験するバカロレアとそれに向けた学習について、中島(2016)から紹介します。
バカロレアの試験はすべてが論述式、そうでなければ口頭試問だ。日本の大学受験で主流の「a、b、c、dの中から正しい答えを選びなさい」というような択一問題は一切、出題されない。
そうなると受験で高得点を取るための技術というのが違って来る。ただただ暗記して知識を詰めこんでもすぐには点数につながらないし、与えられた選択肢から上手に誤答を避けるテクニックなどは持っていてもまったく役に立たない。それよりも、自分の持っている知識をフルに使って、論理的な文章で自分の考えを伝達する技術、あるいは口頭で他人にわかりやすくプレゼンテーションをしたり、質問に的確に答えたりする技術が受験テクニックということになる。
こういう「受験技術」を身につけることは「本来の勉強」と別のものではない。〔引用している箇所の前の部分で、著者は、日本では「受験勉強」が「本来の勉強」と区別されていることに言及している。〕そのまま高等教育を受ける際に役に立つ、つまり本来の高校教育と言ってよいのではないだろうか。(p.199)
どのような「ゲーム」を行なってきたのか。また、そのゲームで「勝つ」ために、どのようなスキルを身につけたのか。そのスキルには汎用性があるのか。こうした点に注意して考えてみるとよいとおもいます。
上記引用と関連して、自分の研究関心から興味深いと思った点も参照してみます。
(略)学校の勉強の手伝いのような形で他人の援助は必要かもしれない。科目にもよるけれど、日本の受験勉強は暗記に励んだり、ドリルのような問題集を何度もやればよく、答え合わせも簡単なので、実は一人でもやりやすい。が、フランスの勉強は一人でやれることに限界があるような気がするのだ。論述式の試験に備えるには、知識だけでなく、それをどう与えられた課題の分析に使うか、どう組織して論理を組み立てるかを訓練しなければならないが、それには足りないところを指摘してくれる他人の目が何より有効なのではないかと思う。(p.202)
一見すると、目的を達成する手段に関する指摘のようにみえます。しかし、じつは目的がこうした手段を要請するものであるのだろうと思います(あるいはその手段の獲得もまた目的のひとつと言ってもよいのかもしれません)。そして、それは汎用性につながるのでしょう。