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ポストキャピタリズム(アーティファクトとのほどよい距離感)

道具に媒介された活動という視点から考えてみましょう。

まずは、ポール・メイソンと斎藤幸平の対話から要約して紹介します。

 

■ポストキャピタリズム

・18世紀末に始まった産業資本主義は、技術発展を加速させることで、生産性を上昇させた

・現代:モノが社会にありあまる、資本の生産力が需要を上回る、利潤率が低下

 = 潤沢な社会(society of abundance)→ポストキャピタリズム ⇔ 財の希少性

 

■情報技術は、どのようにポストキャピタリズムにつながるか?

・1:限界費用ゼロ社会を到来させる:情報技術はモノの生産費用や情報財の再生産費用をゼロに近づける → 利潤を上げづらくなる

・2:労働をオートメーション化させる:オートメーション化は労働時間を短縮する。余暇に「仕事=遊び」。→仕事と非仕事の区別があいまいになる。社会的協働が拡張される。私的労働と指摘所有の概念が揺らぐ。労働の再定義。誰にも所有されない生産物(non-owned products)の生産が主流になる。

・3:正のネットワーク効果をもたらす:人びとのつながりが、新しい実用性・効用を創出。ネットワークを企業が独占するのを許さないとすれば、資本主義への挑戦にもつながる。

・4:情報の民主化をうながす:無償の社会的協業をうながす。その生産力は無視しえない。生産過程が民主化される。

 

■ポストキャピタリズム化に抵抗する資本の動き

・1:市場による独占;限界費用ゼロ効果に対する抵抗

・2:ブルシット・ジョブの増加;オートメーション化への抵抗 こちらも参照

・3:プラットフォーム資本主義の出現;正のネットワーク効果への抵抗

・・ネットワークが産み出す効果を利潤として吸い上げるために、プラットフォームを独占しようとする

・4:情報の非対称を作る;情報の民主化への抵抗

・・情報をコントロールする側とコントロールされる側の情報量の差はますます拡大

・自由市場ではない、反競争的な資本主義

 

・道具に媒介された活動の分析視点から、上記のような「大きな」テーマをとらえたうえで、ローカルなフィールドでどうしたことが可能なのか、また、どのようなアーティファクトが必要なのか、といったことを考えてみましょう。

 

斎藤はマイケル・ハートとの対話で労働における「構想」と「実行」の分離に言及しています(テイラー主義批判はブレイヴァマン「労働と独占資本」)。

・以前:知識と技術をもつ働き手は、「構想」と「実行」を一緒に行う = 労働者は自律的

 ↓

テイラー主義:労働過程を分割。「構想」と「実行」が分離 = 労働者は自律性を奪われる

 

・こうした議論は、「パフォーマンスとしての自律」(パフォーマンス vs. 能力)を可能にしているアーティファクト、ルール、分業が何であるのかを考えることが重要であることを認識させます。

アーティファクト、ルール、分業を管理する「権限」がないことは、「パフォーマンス」としての自律を享受するだけでは心もとないこと、そして、「パフォーマンスとしての自律」を作りだす能力が重要であることを気づかせます。

 こちらこちらも参照

・道具に媒介された活動で、パフォーマンスは大いに拡張されている。ところが、そこにあるのは「実行」だけかもしれない。実行を可能にしている「構想」はすでに見えなくなっており、もはや私たちは「構想する」ということがいったいどのようなことなのかすらわからなくなっている。そうかもしれないけれど、それでも別に困らない、楽だし・・と。でも本当にそれでよいのか。

 こちらも参照

レオンチェフの議論をもう一度ふりかえってみましょう。

 

文献

斎藤幸平編(2019)未来への大分岐―資本主義の終わりか、人間の終焉か? ,集英社.(集英社新書) (マイケル・ハートマルクス・ガブリエル、ポール・メイソンと編者である斎藤の対話)

 

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