支配的な文化的恣意と文化資本の距離
2・3・2・1
特定の社会組織において、支配的AP〔教育的働きかけ〕の博する成功は、集団や階級に応じて差を生じるが、これは、第一に、一つの集団または階級に固有の教育的エートスの、第二に文化資本の関数である。
まず、このエートスとは、当のAP〔教育的働きかけ〕およびこれを行使する機関にたいする諸態度性向の体系であり、その機関は、AP〔教育的働きかけ〕を行使するにあたり、(a)支配的AP〔教育的働きかけ〕がその賞罰を通してさまざまな家族的AP〔教育的働きかけ〕の所産に付与する価値、および(b)さまざまな社会的市場が客観的賞罰を通して、そこからそれらの生じてきた集団や階級に応じて支配的AP〔教育的働きかけ〕の産物に付与する価値、の内面化の所産として、これを行なう。
また、文化資本とは、種々の家族的AP〔教育的働きかけ〕によって伝達されてくるもろもろの財のことで、文化資本としてのその価値は、支配的AP〔教育的働きかけ〕の押しつける文化的恣意と、それぞれの集団または階級のなかで家族的AP〔教育的働きかけ〕を通して教えこまれる文化的恣意との距離によって決まってくる(命題2・2・2 2・3・1・2 2・3・3より)。
2・2・2
ある特定の社会組織において、正統な文化、いいかえれば支配的な正統性を付与された文化が、文化的恣意および支配的な文化的恣意に関するその客観的真理において誤認されているかぎり、それは支配的な文化的恣意にほかならない(命題1・2・3と2・2によって)。
2・2
AP〔教育的働きかけ〕は、一個のAuP〔教育的権威〕をあたえられているかぎり、文化的恣意に関する客観的真理の誤認をうみだそうとするが、それは、AP〔教育的働きかけ〕が、押しつけの正統な審級として承認されていて、正統的文化として自ら教えこむ文化的恣意の承認をうみだそうとするという事実にもとづく。
1・2・3
ある特定の社会組織において、これを構成している集団または階級間の力関係のゆえに文化的恣意の体系のなかで支配的位置におかれている文化的恣意は、つねに間接的にであっても、支配的集団または支配的階級の(物質的および象徴的な)客観的利害をこのうえなく完ぺきに表現している。
(ブルデュー・パスロン,1991)※適宜改行をおこなった。
文献
ブルデュー,P.& パスロン,J. 1991 再生産―教育・社会・文化,藤原書店.