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Tsuchikura Laboratory

ナッジ(nudge)について

用語をいくつか確認しておきます。Nudge(セイラー・サンスティーン,2009)からの引用。

 

リバタリアンパターナリズム:それは一見すると矛盾したもの言いにみえる。では、その「らしさ」はどこにあるのか?

・・パターナリズムらしさ:「人々がより長生きし、より健康で、より良い暮らしを送れるようにするために、選択アーキテクトが人々の行動に影響を与えようとするのは当然である」と考える。

・・リバタリアンらしさ:ただし、人々の自由を尊重している。「人々が思い通りにこうどうできるように」し、「自由を行使したいと思っている人に重い負担をかけようとは考えていない」

・すなわち、リバタリアンパターナリズムは、「相対的に弱く、ソフトで、押しつけ的ではない形のパターナリズム」であり、「選択の自由が妨げられているわけでも、選択肢が制限されているわけでも、選択が大きな負担になるわけでもない」

・では、リバタリアン・パターナリストは何をするのか?

・人びとが、より良い生活を送れるようにナッジ(nudge)する。

 

・iNcentives:インセンティブ

・Understand mappings:マッピングを理解する

・Defaults:デフォルト

・Give feedback:フィードバックを与える

・Expect errpr:エラーを予期する

・Structure complex choices:複雑な選択を体系化する

 

・ナッジ

・・具体的にはつぎのように考えられる。

・・選択を禁じることをしない。命令ではない。

・・インセンティブを大きく変えることをしない。

・・「人の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素を意味する」

・・何らかの介入をナッジと位置づけるには、低コストであること、また、行為者が望めば容易に避けることができることが求められる。

 

・ナッジする:注意や合図のために人の横腹をひじでやさしく押したり、軽く突いたりする。

・選択アーキテクチャー:設計された、人々が意思決定する文脈

・選択アーキテクト(設計者):人々が意思決定する文脈を体系化して整理する人

・例)

・・有権者が候補者を選択するときに用いる投票用紙をデザインする人

・・患者に治療法の選択肢を提示する医師

・・新入社員が会社の医療制度に加入するときの選択肢に関する書類を作成する人

・・子どもに教育の選択肢を示す親

 

リバタリアンに対して、どうリバタリアンパターナリズムを正当化しうるのかについては本文にあたってみてください。

・議論の前提となる社会心理学の社会的認知、ハーバート・サイモン認知科学、また、ドナルド・ノーマンの議論、シーナ・アイエンガーらの議論との関連性も考えてみましょう。

 

文献

セイラー,R.・サンスティーン,C.遠藤真美訳 2009 実践行動経済学日経BP社.

クルト・レヴィン略歴

マロー(1972)にもとづいてクルト・レヴィン(Kurt Lewin)の略歴をまとめた。

 

  • 1890年9月9日:プロシアのポーゼン県のモギルノという小さい村(いまはポーランド領)で生まれた
  • 1905年:アウグスタ皇后高等学校入学
  • 1909年4月:フライブルグ大学(半期のみ)
  • 1909年10月:ミュンヘン大学(半期のみ)
  • 1910年4月:ベルリン大学。以後、博士号を取得するまで籍をおいた。
    ・当時の心理学研究室の主任がカール・シュトゥムプ
    ・卒論の指導教官
    ・シュトゥムプが心理学科の長として在任中(1894-1921)、ヴェルトハイマー、
  • コフカ、ケーラーを引き寄せ、ゲシタルト主義を樹立させた
  • 1914年初夏:学位を取得する条件をみたした後で兵役を志願
    ・4年間戦闘に従事
    ・1916年に学位を授与
  • 1917年夏頃:戦傷を負い入院
  • 1917年:マリア・ランズベルグと結婚。ベルリン郊外のアパートに住む
  • 1919年:娘のアグネス誕生
  • 1922年:息子のフリッツ誕生
  • 1921年頃、心理学の講義と哲学の演習を私講師あるいは講師として担当。私講師は公務員ではない。俸給はもらわず、地位の保証もない)
  • (1923年~28年頃?マリアと離婚)
  • 1926年:Vorsatz, Wille und Bedurfnis出版
  • 1927年:ベルリン大学哲学部の員外教授(定員の枠づけのない准教授)に任命される
  • 1929年:イエールでの国際心理学会に出席
  • 1929年:ゲルトルート(ゲルトルード)・ワイスと再婚
  • 1932年:スタンフォード大学客員教授(6か月。カリフォルニアのパロ・アルト)
  • 1933年:ゲルトルートとのあいだにはすでに娘のミリアムがいる。
  • 1933年1月:ヒトラーがドイツの首相に
    ・A・R・ルリア
  • 1933年5月以降:ベルリン大学を辞任
  • 1933年7月:第二子(ダニエル)誕生。
  • 1933年8月:ドイツを離れる。以後、戻ることはなかった
  • 1933年秋:コーネル大学(財団の基金により任命された亡命の教授。契約は2年)イサカ。
    ・心理学科ではなく、家政学
  • 1935年:A dynamic theory of personality(『パーソナリティの力学説』)出版。最初の著書。
    ・論文のうち重要なものを集めたもの。ドナルド・K・アダムスとカール・E・ズィーナーが翻訳。
  • 1935年:アイオワ大学児童福祉研究所(常勤職。継続の見込みあり)(1944年までの9年間)
    ・アイオア市へ。
  • 1936年:Principles of topological psychology(『トポロジー心理学の原理』邦訳はトポロギー~)翻訳出版。2作目。
    ・ドイツ語で書かれたものの、ドイツ語では出版されず。フリッツ・ハイダーとグレース・ハイダーが翻訳。
  • 1938年:The conceptual representation of the measurement of the psychological forces(『心理学的な力の概念的な表示法と測定』)を発表。
  • 1938年と1939年の春学期(2学期):ハーヴァード大学客員教授(心理学部ではなく、心理学診療所)
    ・「ハーヴァードの心理学部の研究的関心は、非常に抽象的で、お上品な実験にばかり関心があり、日常生活の現実には背を向けているように見えた。しかし、診療所の方では、もっと直接的な行動の研究が行なわれていた。」(p.238)
  • 1939年夏学期:バークレイのカリフォルニア大学から招待
  • 1939-1940年1月:アメリカの市民権を得る
  • 1940年頃?:戦略事務局。ワシントンの業務に携わる
  • ?:ヴェルトハイマーの後継としてニュー・スクールに就職する予定が頓挫(ケーラーが反対)
  • 1943年:フィールド財団から援助(研究センターを設立する資金)
  • 1944年:アメリカ・ユダヤ人連名(AJC)から援助。地域社会問題委員会。
  • 研究センターを設置するための大学を確保することに奔走
  • 候補をバークレイにあるカリフォルニア大学とケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)にしぼる
  • 1944年9月:アイオア市を離れる。ワシントンで4か月を過ごす。戦略事務局の仕事を完了させる。
  • 1944?1945?:MITに集団力学研究センターを設置
  • 1945年1月:マサチューセッツニュートンビルに移る。
  • 1945年2月:AJCの地域社会問題委員会の創立が正式に発表。
  • 1946年夏:コネティカット州人種関係委員会が援助を求める。
  • 1946年:6月に開催予定のリーダーシップ訓練研究集会の準備。Tグループ(訓練集団)
  • 1947年夏:国民訓練研究所(ナショナル・トレイニング・ラボラトリーズ:NTL)の創設。メイン州。感受性訓練(センシティビティ・トレイニング)。
  • 1947年2月11日:永眠
  • 1951年:Resolving social science(『社会的葛藤の解決』)出版
  • 1951年:Field theory in social science(『社会科学における場の理論』)出版

 

文献

マロー,A.J.望月衛・宇津木保訳 1972 KURT LEWIN―その生涯と業績,誠信書房

学際研究5(場の質的心理学)(2020年度)

学際研究5(場の質的心理学)(2020年度)のページです。(2020/4/3;適宜更新)

 

■課題の提出先

・つぎの資料を確認してください:こちら

*パスワードは授業でお知らせします。

 

■配付資料

・配付はこちら

*パスワードは授業でお知らせします。 

 

 ■スケジュール

・第1回(4/22)

・休講(4/29)

・第2回(5/6)

・第3回(5/13)次回までの宿題:以下の4項目を記載した資料を5/19(火)中に上記の提出先から提出する。(1)抽出した切片数を記録する、(2)見いだされた全グループに小見出しをつける、(3)各グループの切片数を記録する、(4)グループにならなかった切片数を記録する。

・第4回(5/20)次回までの宿題:結果の図と表のファイルを5/27(水)の午前中に上記の提出先から提出する。結果の文章は再来週に提出予定。

・第5回(5/27)次回までの宿題:(1)結果の文章(図と表を含む)を次回(6/3)の授業前までに提出。(2)質問項目案を6/2(火)までに提出。(3)インフォーマントの検討をはじめる。(6/11-16がインタビュー実施時期の有力候補)

・第6回(6/3)

・第7回(6/10)事前にアポイントメントをとった上でインタビューを行なう。協力してくださる方に、丁寧に趣旨を説明してください。

・第8回(6/17)次回までの宿題:トランスクリプトを作成する

・第9回(6/24)次回までの宿題:トランスクリプトを読み、気になるところをチェックしてくる

・第10回(7/1)データ分析(適宜宿題)

・第11回(7/8)データ分析(適宜宿題)

・第12回(7/15)データ分析(適宜宿題)

・第13回(7/22)データ分析、プレゼンづくり(適宜宿題)

・第14回(7/22)プレゼンづくり(適宜宿題)

・第14回(7/29)

・7/30(木)ゼミ研究発表会

 

■グループ

・A:石井、木立、高良

・B:風間、坂本、東方、藤原

 

シラバスこちら

*ただし、状況により変更になる部分があります。詳細は別途説明します。

 

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