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クルト・レヴィン略歴

マロー(1972)にもとづいてクルト・レヴィン(Kurt Lewin)の略歴をまとめた。

 

  • 1890年9月9日:プロシアのポーゼン県のモギルノという小さい村(いまはポーランド領)で生まれた
  • 1905年:アウグスタ皇后高等学校入学
  • 1909年4月:フライブルグ大学(半期のみ)
  • 1909年10月:ミュンヘン大学(半期のみ)
  • 1910年4月:ベルリン大学。以後、博士号を取得するまで籍をおいた。
    ・当時の心理学研究室の主任がカール・シュトゥムプ
    ・卒論の指導教官
    ・シュトゥムプが心理学科の長として在任中(1894-1921)、ヴェルトハイマー、
  • コフカ、ケーラーを引き寄せ、ゲシタルト主義を樹立させた
  • 1914年初夏:学位を取得する条件をみたした後で兵役を志願
    ・4年間戦闘に従事
    ・1916年に学位を授与
  • 1917年夏頃:戦傷を負い入院
  • 1917年:マリア・ランズベルグと結婚。ベルリン郊外のアパートに住む
  • 1919年:娘のアグネス誕生
  • 1922年:息子のフリッツ誕生
  • 1921年頃、心理学の講義と哲学の演習を私講師あるいは講師として担当。私講師は公務員ではない。俸給はもらわず、地位の保証もない)
  • (1923年~28年頃?マリアと離婚)
  • 1926年:Vorsatz, Wille und Bedurfnis出版
  • 1927年:ベルリン大学哲学部の員外教授(定員の枠づけのない准教授)に任命される
  • 1929年:イエールでの国際心理学会に出席
  • 1929年:ゲルトルート(ゲルトルード)・ワイスと再婚
  • 1932年:スタンフォード大学客員教授(6か月。カリフォルニアのパロ・アルト)
  • 1933年:ゲルトルートとのあいだにはすでに娘のミリアムがいる。
  • 1933年1月:ヒトラーがドイツの首相に
    ・A・R・ルリア
  • 1933年5月以降:ベルリン大学を辞任
  • 1933年7月:第二子(ダニエル)誕生。
  • 1933年8月:ドイツを離れる。以後、戻ることはなかった
  • 1933年秋:コーネル大学(財団の基金により任命された亡命の教授。契約は2年)イサカ。
    ・心理学科ではなく、家政学
  • 1935年:A dynamic theory of personality(『パーソナリティの力学説』)出版。最初の著書。
    ・論文のうち重要なものを集めたもの。ドナルド・K・アダムスとカール・E・ズィーナーが翻訳。
  • 1935年:アイオワ大学児童福祉研究所(常勤職。継続の見込みあり)(1944年までの9年間)
    ・アイオア市へ。
  • 1936年:Principles of topological psychology(『トポロジー心理学の原理』邦訳はトポロギー~)翻訳出版。2作目。
    ・ドイツ語で書かれたものの、ドイツ語では出版されず。フリッツ・ハイダーとグレース・ハイダーが翻訳。
  • 1938年:The conceptual representation of the measurement of the psychological forces(『心理学的な力の概念的な表示法と測定』)を発表。
  • 1938年と1939年の春学期(2学期):ハーヴァード大学客員教授(心理学部ではなく、心理学診療所)
    ・「ハーヴァードの心理学部の研究的関心は、非常に抽象的で、お上品な実験にばかり関心があり、日常生活の現実には背を向けているように見えた。しかし、診療所の方では、もっと直接的な行動の研究が行なわれていた。」(p.238)
  • 1939年夏学期:バークレイのカリフォルニア大学から招待
  • 1939-1940年1月:アメリカの市民権を得る
  • 1940年頃?:戦略事務局。ワシントンの業務に携わる
  • ?:ヴェルトハイマーの後継としてニュー・スクールに就職する予定が頓挫(ケーラーが反対)
  • 1943年:フィールド財団から援助(研究センターを設立する資金)
  • 1944年:アメリカ・ユダヤ人連名(AJC)から援助。地域社会問題委員会。
  • 研究センターを設置するための大学を確保することに奔走
  • 候補をバークレイにあるカリフォルニア大学とケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)にしぼる
  • 1944年9月:アイオア市を離れる。ワシントンで4か月を過ごす。戦略事務局の仕事を完了させる。
  • 1944?1945?:MITに集団力学研究センターを設置
  • 1945年1月:マサチューセッツニュートンビルに移る。
  • 1945年2月:AJCの地域社会問題委員会の創立が正式に発表。
  • 1946年夏:コネティカット州人種関係委員会が援助を求める。
  • 1946年:6月に開催予定のリーダーシップ訓練研究集会の準備。Tグループ(訓練集団)
  • 1947年夏:国民訓練研究所(ナショナル・トレイニング・ラボラトリーズ:NTL)の創設。メイン州。感受性訓練(センシティビティ・トレイニング)。
  • 1947年2月11日:永眠
  • 1951年:Resolving social science(『社会的葛藤の解決』)出版
  • 1951年:Field theory in social science(『社会科学における場の理論』)出版

 

文献

マロー,A.J.望月衛・宇津木保訳 1972 KURT LEWIN―その生涯と業績,誠信書房

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