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来るべきときのための備え

一見すると、「私たち」には関連がないと思われている、福祉や社会保障について、渡辺(2018)はつぎのように説明しています。

 

「人は誰しも齢をとります。そして、いつかは必ず病気をわずらって医者にかかったり、あるいは、他人のお世話になって生きていかなくてはならない時期がやってきます。/しかし、こんな「自明」に思えることを、若いときや元気なときには、ついうっかり忘れてしまいます。・・・略・・・想像よりずっと速いスピードで30代はやってきますし、40代はさらにあっけなくきます。そして、「まさかこの私」が、40代どころか、50代になろうとは、もう笑うしかありません。・・・略・・・「障害」や「病気」というのも、おそらくそうしたもので、元気なうちは「まさかこの私が」と思っているところがありますが、考えるまでもなく、誰しも大病をわずらう可能性がありますし、突然の事故で思いがけない障害を負ったり、結婚・出産で生まれてきた子どもに障害があったりということもないわけではないでしょう、・・・略・・・日本では、福祉というと、つい障害者や高齢者、あるいは生活困窮者といった「特別な人たち」のためだけのものと考えがちですが、本来、福祉や社会保障というのは、誰にとっても、やがてくるその日のための大切な備えであり、心がまえであるはずです。」(渡辺,2018,pp.9-11)

 

私は他者であったかもしれない。他者は私であったかもしれない。偶有性の感覚と窮乏で生じる状態の関連を考えてみましょう。来るべきときといまこの瞬間にたいする重みづけも気になります。

 

渡辺一史 2018 なぜ人と人は支え合うのか―「障害」から考える,筑摩書房.(ちくまプリマ―新書)

 

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