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2つの承認

齋藤純一と宮本太郎の議論において、齋藤は他者の承認を2つにわける(pp.8-9)。

 

1)尊敬としての承認

・他者を自律的な生を生きうる、その潜在性をそなえたものととらえる

・他者を自律的な存在者たり得るものとして尊敬する、という意味での承認

 

2)評価としての承認

・他者を社会的な協働のなかで何らかの活動をするものととらえる

・他者の活動を評価に値するものとみなす、という意味での承認

 

背景には、「「他者によって評価される私」というのが、人々の生にとって大きなプレッシャーとなっている」ことがあり、「個人の能力の査定としての評価とは相対的に区別された評価の軸を、どうやって形成できるかが鍵にな」るとする(p.8)

 

このあとにつづく、”無条件の権利”と”条件つきの権利”をめぐる議論は、大変考えさせられます。

 

もうひとつ、承認とは別の議論を参照しておきます。これも齋藤の発言から。

 

セキュリティという言葉が、ラテン語のセクーラ(se+cure)を語源とすること、すなわち、不安がない、心配がない、という意味であることを踏まえた発言です。

「不安、インセキュリティの意識を煽っては、それを動員する政治が、小泉政権でもアメリカのブッシュ政権でもそうだったように、この四半世紀ぐらい続いてきた。恐怖や不安が政治的に植えつけられることで、社会保障や雇用保障という意味でのセキュリティではなく、治安管理という意味でのセキュリティへの関心が増大してきました。そのなかで、人々を一方では働くことへと強迫していき、他方ではセキュリティを生存保障という非常にミニマムなところに還元することが行なわれてきた。インセキュリティが増大するとともに、セキュリティの中身も極めて貧弱なものになっていった。」(p.2)

 

私たちの課題となっている、「見とおしのわるさ」がここでもポイントであるように思います。

 

宮本太郎・齋藤純一 2010 対論 セキュリティの構造転換へ,宮本太郎編 社会保障―セキュリティの構造転換へ(自由への問い 2巻),岩波書店.pp.1-25.

 

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