質的研究にはいくつかの立場がある、という話を踏まえて、そのひとつの立場と関連するマックス・ヴェーバーの「価値自由」に関する説明を、山之内(1997)から引用します。
「しばしば誤解されてきたことですが、ヴェーバーの言う「価値自由」とは、社会科学にたずさわる人間は一切の価値判断にとらわれてはならず、ただひたすら客観的事実を追求すべきだ、といったものではまったくありません。そのような純粋客観主義は、むしろヴェーバーが排撃してやまないものでした。彼が論じたのは、社会科学のいかなる命題も、根本的には何らかの価値判断を前提とせざるを得ないということ、そしてこの点をはっきり自覚している必要があるということでした。純粋に客観的な立場などというものは、およそ歴史や文化をその研究対象のうちに含む社会科学においては存在しえない。というのも、社会科学の営み自身が、特定の歴史的状況の内部におかれているからであり、特定の文化的時代環境の要請に対応するものだからである。―ヴェーバーの言う「価値自由」とは、だから、何よりもまず、社会科学の研究にたずさわる者は、自分の研究をなすにあたって、その研究がいかなる価値判断を前提とするものであるかについて明らかにしておく必要があるということ、この点にかかわっていたのです。」(山之内,1997,pp.2-3)
実際のところ、オンラインで気づきを得るのは簡単ではないように思います。フィールドを離れて、それなりにまとめたあとで気づく、ということも少なくありません。また、そのことがつぎの研究のきっかけになったりもします。
ともあれ、ヴェーバーは上記の前提を踏まえて、(質的研究にかぎらず)社会科学が何をすべきか(理念型の話です)を提示している、という点に注意する必要があります。
山之内靖 1997 マックス・ヴェーバー入門(岩波新書),岩波書店.